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キャリアデザインを通じ、すべての人に本当の幸せと成功を実現してもらいたい

山岸 毅志Yamagishi takeshi

YHR Management

代表

「世界は広い」――幼いころからマクロな視点で将来を考えていた

山岸自身にキャリアデザインの意識が芽生えたのは、幼少期まで遡る。世界的な電子部品メーカーで働く父親の存在が大きい。父親は、ヨーロッパ、アメリカなど海外を転々とするポジションにおり、ロサンゼルスに常駐していた際には、家族も同伴。山岸は幼稚園時代の3年間を、ロサンゼルスで過ごしている。そんな父親の口癖は「世界は広い」だった。
どういった意味なのか、自分の目で確かめてみたいと山岸少年は思った。そして実際、そのとおりのキャリアをデザインしていく。高校生のときは交換留学制度を使い、ニュージーランドで半年間暮らす道を選んだ。現地では日本人ばかりが集まりがちな寮を出て、現地のホストファミリーの家で生活することで、世界の広さを体感していった。
学校卒業後の進路も迷わず外資系企業を志望し、クレディ・スイス生命保険株式会社(以下、クレディ・スイス生命)へ入社する。そして現在のキャリアコンサルタントの根幹とも言える、人とのコミュニケーションやリーダーとしての思考や姿勢などを、今でも尊敬しているという、当時の所長から教わっていった。

「腰が低く、誰に対しても平等で、理不尽なことは一切言わない方でした。特に何かを指示するわけではないのですが、困ったことなどがあると、最後まで親身になって付き合ってくれる。こんな人になりたい、そう、思える方でした」

仕事に対する姿勢も、見習うべき点が多かった。顧客にとってどのような保険が最適なのか。現在入っている保険は適正であるか、本人は契約内容をきちんと把握しているか、など。一人ひとりの顧客に親身になって寄り添っていったからだ。当然、顧客からは喜ばれる。同時に自身、会社の利益もアップする。まさに、Win-Winのビジネスを体現しているような人物であった。一方で先述した営業手法、SSHのベースとなるような手法を生み出すような、やり手の面も持ち合わせていた。
山岸は所長のスタイルを踏襲する。すると入社1年目から次々と契約を獲得していき、1年目で金融・保険業界のスペシャリストの証「MDRT」を取得。また、そのような所長が上司だったからであろう。チームの雰囲気もよく、毎日が充実していたと当時を振り返る。ただそれ以上に山岸が感じていた魅力があった。山岸のキャリアコンサルタントの根幹にも重なる、自分の価値観に関する感覚だ。

「保険の営業マンは、ある意味個人事業主と同じです。実際、クレディ・スイス生命は給与制ではなく、成果から所得が支払われていました。営業手法、アポの取り方、会う時間や場所なども、すべて自分で決めることができる。このように自由に働くことのできる環境が、自分にはマッチしていましたし、これが自分の働き方、人生なのだと感じるようになっていきました」

クレディ・スイス生命に在籍した8年間のうちに、6度の社長杯入賞、MDRTを4回取得するなど、キャリアは順調だった。だが山岸は次第に、1人で出会える顧客の数に限界があると感じるようになり、育てる側にまわりたいと思うようになる。
そんな折、クレディ・スイス生命が買収されることとなり、これまでとは組織の雰囲気が大きく変わってしまった。当時の支社長が、日本生命で新たな部署を立ち上げ育成業務にコミットすると聞き、山岸は迷わず新しいキャリアを選んだ。その後は先述したとおりだ。