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次世代の革新的製造業「梅田工業株式会社」 クリエイティブな人材が活躍できる環境を整備する

梅田 英鑑Umeda Hidenori

梅田工業株式会社

代表取締役社長

1979年 埼玉県熊谷市生まれ
1997年 高校卒業
2000年 製造業 入社/退社
2002年 大学入学
2003年 大学中退
2006年 製造業 入社
2008年 梅田工業株式会社 入社
2009年 一時退職
2011年 復職/インドネシア現地法人へ出向
2013年 常務取締役 就任
2014年 代表取締役社長 就任(現職)
2017年 過去最高売上げ達成

Index

  1. 零戦から洋上風車まで。創業73年の技術力と最新設備を武器に多種多様な機械加工品を生み出す
  2. 頑固で破天荒。「俺はロボットじゃない」と父親のやり方に反発し家を飛び出す
  3. 生活費があと30円しかない。自分はいかに恵まれた環境にあったかを知る
  4. 全社員にiPadを支給。徹底した効率化と新規客の開拓で創業来最高の利益を達成
  5. 全てがオープン。会社に関するあらゆる情報が記載された経営計画書を全社員に配布し「価値観」を共有
  6. 明るく楽しい環境のもと、フレッシュな感覚とパワーでオリジナル製品の開発を目指す

零戦から洋上風車まで。創業73年の技術力と最新設備を武器に多種多様な機械加工品を生み出す

旧態依然の競合他社が多いなか、革新的なチャレンジを内外に続ける梅田工業株式会社。 3代目社長の梅田英鑑とはどのような人物なのか、取材を試みた。

1946年創業の梅田工業株式会社(埼玉県行田市持田2662)。原点は創業者の技術力に他ならない。創業者の孫にあたる現社長の梅田英鑑は言う。

「祖父は零戦の製造に携わっていたほどの腕を持つ技術者でした。戦争が終わり、技術力を活かそうと、当社を設立。祖父が持っていた板金加工や機械加工技術は当社のコア技術として、現在も受け継がれています」

梅田の父である二代目の現会長も、祖父と同じく技術者であった。ただ技術に加え、経営の才覚も備えていた。当時、隆盛を極めていた半導体事業に着目し、半導体製造に関わる各種装置や機器に使われる部品の製造・加工事業に進出していった。。会社の規模は拡大し、最新の設備を導入。もともとあった技術力と最新設備という強みを活かし、量産品ではなくニッチなオーダーを短納期で手がけるビジネスモデルで存在感を発揮。現在では1点モノの製品も含め、月平均4000件、3万点以上の製品を手がけている。

また同社では生産管理システムを自社開発している。「生産量の拡大にともない、管理システムが必要となりました。ところが既製品では、当社に最適なシステムがありませんでした。そこで親族にエンジニアがいたこともあり、自分たちで作ってしまおうと。今では自社で使うだけでなく『F.P.I.sys』として製品化。他社にも販売していて、クラウド版の開発にも注力しています」

梅田が経営のバトンを継いだのは2014年。梅田は先代の2人とは異なるアプローチで、梅田工業の舵取りを行っている。

「加工技術がいかに高くても、部品を納入するだけではコスト競争となり、この先ジリ貧なのは明白です。そこで当社の強みを改めて掘り下げたところ、加工の先、組み立てに強いことが分かりました。そこで同領域の案件を積極的に手がけていくと、ビジネスのフィールドも変わっていきました」

以前の領域は先に書いたとおり、端的に言えば装置内の部品であり、傍からは何を作っているのかが分かりづらかった。それが強みを全面に出すことで変わりつつある。大型の液晶パネルを壁にかける際のベース。高速道路の非常電話のボックス筐体。発電を行う洋上風車の一部など。中でも洋上風車のようなビッグプロジェクトは、これまでになかった案件であり、担当技術者は現地にも同行した。これまで得られなかったものづくりの喜びを感じている。