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全従業員全員経営で日本の美容技術を世界へ。

織田 光一Oda Koichi

株式会社オーエス

代表取締役

親友との出会い、起業。300名・30億円の企業に成長

織田は創業メンバーではあるが、正確にはファウンダーではない。創業社長は前社長の関口氏で、関口氏は織田の親友でもある。織田は練馬区で育った。人見知りかつ内向的で、先頭に立ったり、自己主張するようなタイプではなかった。外で遊ぶよりも家で本を読む方が好きで、お気に入りは中国を舞台にした歴史本。そんな子だった。ただ織田の周りには活発な友だちが多く、当時、サッカー・Jリーグが盛り上がっていたこともあり、サッカーに熱中した。しかし高校に入ると打ち込んでいたサッカーを辞めてしまう。

「サッカーもやらず、友だちとつるんで毎日フラフラしていました。いい加減な毎日を送っていましたね。」

しかしそのフラフラが、織田の人生を変える出会いに結びつく。前述、関口氏との出会いだ。

「友だちが家に遊びに来たとき、近所に友だちがいる、と言って呼んだんです。それが関口でした」

関口氏も織田と同じように、何かに熱中するわけでもなく、フラフラしていた。お互いの家の距離は歩いて5分。2人が仲良くなるまでに時間はかからなかった。2人とも、高校卒業後もしばらくは定職に就くこともなく、何となくの毎日を過ごしていた。だが2人は「今の生活をこのまま続けていてもしょうがない」と動く。当時勢いのあった通信系商材のテレアポのアルバイトをはじめたのだった。そしてこのアルバイトが、2人の人生を大きく変えていくことになるのだ。

「アルバイトで稼げていたので、私はそのままでいいと思っていました。でも関口は内気な私とは違い、イケイケドンドンなタイプ。『2人で会社を興そう!』と言われ、私も同調しました」

2003年、自宅マンションの一室でオーエスは産声を上げる。そしてここから快進撃がはじまる。1年後には従業員が10名に増え、仕事場は自宅からオフィスビルに変わった。その後も人員が増える度にオフィスを移り渡り、創業から3年ほどで40名体制になった。

「めちゃめちゃ順調でしたね」。織田が振り返るように、快進撃はさらに続いていく。冒頭の自社サービスも手がけていき、売上も従業員数も右肩上がりで上昇を続けた。2016年には従業員300名、売上高30億円までに成長した。

ただこの成功は本物ではなかったという。

「内情は違っていました。当時は営業会社の色が強かったですから、とにかくメンバーや拠点を増やして売上を上げようと、やみくもに会社を大きくしていたからです。300人も従業員がいれば、成績を上げられないメンバーも出てきます。その人件費などが嵩んでいき、経営を圧迫していました」このままの状態が続けば半年後には倒産という状況にまで陥っていた。

そんな矢先、さらなる試練が織田を襲う。関口が不慮の死を遂げた。