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伊藤 歩美Ito Ayumi 

株式会社ハリースタイル

執行役員

子どものころから好きだったアパレル業界へ

伊藤は千葉県松戸市に生まれた。幼いころは“男の子より男の子らしい”子どもで、喧嘩をしたり、どこかへ行って迷子になったりするのは日常茶飯事だった。そんな伊藤は、恵まれた運動神経を持ち、幼稚園のころには鉄棒で大車輪ができるほど。小学校ではミニバスケットボール、陸上、水泳すべての運動部を掛け持ちしていた。ミニバスケットボールにハマり、練習すればするほど、足が速くなっていった。中学は陸上部へと絞り、高校時代は駅伝で関東大会に出場した。しかし腰にケガをし、高校生で陸上は引退。短大へ進学する。卒業後は、レディース服のアパレルブランドに就職し、デパートで販売員として働き始めた。実は陸上に打ち込む一方で、姉の影響でファッションにも関心を持っていたのだった。

「昔から洋服が好きだったんです。中高生のころはファッション雑誌を見たり、学校や部活がお休みの日には友達と買い物に行ったりしていました。短大生のころには、化粧品と洋服販売のアルバイトもしていました」

そんな伊藤だけに、アパレル販売の仕事は楽しく、日々充実していた。しかし、陸上時代のケガの後遺症で、立ち仕事をすることへの負担が大きくなっていった。結局、2年半で退職し、食品会社の事務職へ転職。新たなキャリアをスタートし、3年が経った後、人生の転機となる出来事があった。中学生時代の同級生から、会社を立ち上げるので、手伝ってほしい、と頼まれたのだ。

「それが今のハリースタイルだったんです。私は事務のエキスパートではないので、自分でいいのか、できることがあるのかと思っていましたが、とりあえず人手が足りなかったので。好きな洋服に携われるので、あまり考えず転職しました」

2006年、ハリースタイルが創業して間もないころであった。

逆境のなかでも決して投げ出さない

当時のメンバーは、初代社長と現社長の岡本英久、店長とアシスタント、それに伊藤の5名。事務スタッフとして入社した伊藤だったが、ほどなくしてフィッターも任されるようになった。採寸の方法やコツ、人の体系のクセやパターン、生地の種類や特徴などを岡本から学び、また自ら勉強して身につけていった。

未来は明るい、と誰もが信じていた。メンバーの間では、「この会社を大きくしよう!」と希望に満ちた言葉が語られていた。しかし、現実は厳しかった。今でこそ店舗を持たないハリースタイルだが、創業時は松戸市にオーダースーツショップを構えていた。その売り上げが芳しくなかったのだ。

「私がお店を任されていましたが、全く売れませんでした。松戸にいきなりオシャレなお店ができて、オーダーメードスーツを売っているけれど、やっているのはどこの誰だかわからない若者たち。売上は散々でした」

このままでは会社がつぶれてしまう。売り上げを出すにはどうすればいいか。伊藤は考え、岡本たちとも相談し、外へ出ていくことにした。キャリーケースに生地の見本やメジャーなどを詰め、オーダースーツを欲しいという人のもとを訪ねるようにしたのだ。

「お客様からオーダースーツを欲しい人を紹介していただいたり、知り合いに連絡したりして、ひたすらアポを取っていきました。場所はお客様の会社に行くことが多かったです。午前は新宿、午後は川崎、夜は恵比寿……といった風に。毎日駆けずり回ってました」

給料は前職より安く、休みもほぼ取れなかった。しかし、伊藤は不思議と充実感を感じていた。陸上に打ち込んでいたころ、ずっと部長を務めていた伊藤。途中で投げ出すことはせず、責任を持って最後までやり抜く信念が、このときも発揮されていたに違いなかった。