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お客様と社員の幸せが 会社の成長を呼ぶ

白石 勇人Shiraishi Hayato

株式会社白石モータース

代表取締役

空手で「礼」を学ぶ。

「子どもの頃? そうですね。まるで野生児のような生活でしたね。外で遊ぶのが大好きで、木登りをして、お腹が空いたらアケビを取って食べたりして(笑)」

1987年、田村市で生を受けた白石は、生まれた時から「いつかは白石モータースの跡取り」「三代目社長」と言われて育ってきた。幼少の頃の白石は、現在も勤務している女性社員からはペルシャ猫のようにひざの上に乗せられてかわいがられた。白石モータースは、白石少年にとっては身近な存在だった。

「小学校3年になると、空手にハマりましたね。組み手もそうですが、『型』の魅力にも影響を受けました。レジェンドと言われる方の演舞を見ると、まるで見えない敵がそこにいるかのような動きが凄くて」

中学3年まで続けた空手では、県大会で1位・2位を争う存在に成長。東北大会、全国大会への招待もあったという。

「空手で学んだことは、『礼に始まり礼に終わる』こと。武道の基本ですよね。だから、大人になってからも先輩とどう接したらいいか悩むようなことはありませんでした。そういう意味では大きな財産です」

「絶対に継がない」--父との確執が雪解けし、進路は急展開

「絶対に継がない」

小学校6年生頃から始まった早めの反抗期。白石少年は、次第に父を嫌うようになっていったという。それは、特に理由があったからではない。少年の胸の中に自我が芽生えつつあった。

高校時代も、跡を継ぐという選択肢を考えずに過ごしていたという。将来について考えるよりも、今が楽しければいいという刹那的な感情が白石を支配していた青春時代だった。

しかし高校3年の冬、転機が起こる。

学校でトラブルに遭遇し、退学をも覚悟していた時、父からの呼び出しがあった。それは、雪が降り積もった寒い日の夜のことだった。

「事故車の引き上げについてこい。」

社用の車で待っていた父は、白石に対して口を開いた。てっきり怒られるのだろうと思っていた白石に対し、父がかけた言葉は違っていた。

「自分も昔はやんちゃしていた時があるから、お前の気持ちは分かる」父が口にしたのは、人生についての話だった。

そして、祖父の会社への想い。

「じいちゃんはこの白石モータースを創業する時、お客様が求めることをすべて仕事にしていったんだ。自分が好きなことではなく、お客様が求めることを」

これまで聞いたことのない会社設立時のエピソード、そして、その想いを継いで父が白石モータースを経営していること。毛嫌いしていた父が、信念を持って会社を経営し、地道な努力を続けていることを実感し、真冬のレッカー車の中で、父との確執が雪解けしていった。この日を境に、固く誓った。

「白石モータースを継ぐ」

その後、自動車整備の専門学校へ進学、卒業後はメルセデスベンツを取り扱う株式会社シュテルン中央(東京都)に入社することになる。

後日談になるが、白石の父はこの時のことを「めちゃくちゃ嬉しかった」と語っていたという。直接、白石に言葉を掛けたわけではないが、地元の講演会でこの日の出来事を満面の笑みで語っていたことを、白石は知人から教えられたという。