『生命保険業は究極のお節介業』 財務と経営を総合的に判断できる生命保険コンサルタントのプロフェッショナル
大塚 伸宏Otsuka Nobuhiro
プルデンシャル生命保険株式会社 東京南支社 第1営業所
エグゼクティブ・ライフプランナー/部 長
稲盛和夫氏の教えに感化。プロフェッショナルになれる環境を求めて35歳で転職
銀行員時代の活躍は先に書いたとおりだ。ただ内面では満たされていなかった。師匠に言われたとおり、数多くの分野でスペシャリストとなり、情熱を持って仕事に臨んでも、どうしても自分がプロフェッショナルとの感覚が抱けなかったからだ。そして、その際にも、プロフェッショナルの鑑、弟の姿が眩しく見えた。
そんな大塚に転機が訪れる。経営、成功哲学の勉強のためにと読んでいた、京セラ・稲盛和夫氏の著書だ。成功するためには「考え方×熱意×能力」が必要だと、その本の中で稲盛氏は書いていた。大塚はハッとした。自分には「考え方」が欠落していたのだと。言い方を変えれば、「生き方」が定まっていなかったのだ。どのような行動指針で日々を過ごすのか、人生、仕事を進めるのか。それが、これまではなかったと。そしてこの核を弟は持っていたからこそ、プロフェッショナルになれたのだと。
改めて、自分の行動指針を考えた。浮かんできたのは、亡き母親が生前に何度も3人に伝えていた言葉だった。「正しいことをしなさい。人の役に立ちなさい」。この母親の教えをもとに描いたのが自身の3つの行動指針である。
【大塚の3つの行動指針】
正しいことを正しくする
世の中の役に立つ
魅力的な人間に成長する
行動指針が定まってからの行動は早かった。上述3つが実現できる新たなフィールドを探した。そうして見つけたのが、プルデンシャル生命保険のライフプランナーという職業である。多くのライフプランナーがヘッドハンティングで入社するなか、大塚は自ら連絡を取り入社を果たした。
転職当時の話だ。
金融マンとして高い能力を持つ大塚を評価していた前職銀行の支店長が、大塚が行員時代に担当していた企業に『大塚が来たらぜひ保険に入ってやってください』と一軒一軒頭を下げてまわってくれたという。しかし、待てども待てども大塚は行員時代の顧客の前に姿を現さなかった。
「行員時代の上司に呼び出されましてね。なんで営業にいかないんだと。『頭下げて頼んでおいたのに』と怒られましてね。しかし、法人の経営者に金融のプロフェッショナルとしてお役に立ちたかったのですが、入社当時は生命保険の知識が乏しかったため、経営者のお役に立てないと判断しました。まずは生命保険の基礎を徹底的に身につけようと、入社から5年間は個人保険に注力し、行員時代のお客さまには営業しないと決めていました。」
35歳で銀行を辞め、家族を養っていかなくてはいけない状況で社会人としてゼロからのスタート。普通なら契約をお預かりできそうなところにまず営業しにいくのがセオリーだが大塚は違った。『プロフェッショナル』にこだわる大塚らしい転職当時のエピソードだ。