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顧客への「営業活動」は最大の機会損失。希有なビジネスモデルで「営業活動を不要」に。未知なる領域を攻め、目標を達成する。

中平 勝也Nakahira Katsuya

株式会社アールアート

代表取締役

中学生時代、F1レーサーを目指してアルバイトで資金を捻出。20歳で借金1000万円に。それでも追い求めたレーサーへの道。

サラリーマンの父、母親に弟。ごくふつうの4人家族で生まれ育った中平だが、中平自身が“異常”と言うほど、車やバイクといった乗り物に対して、物心ついたときから特別な興味を持っていた。

「とにかくタイヤのついた乗り物に異常に興味を示す子どもでした。ミニカー、ラジコンなどから始まり、小学校低学年の時にサーキットでレースを観て大興奮。自分の生きる道はこれだ、と思いました」

カートをやりたいと父親に懇願するが、遊びとはいえモータースポーツをやるにはお金がかかる。大手メーカーに勤める父親でも捻出できず、小学生の時は悶々とした日々を過ごす。だが中学生になると自分の力で道を切り拓いていった。

「本当はダメでしょうが、道路工事や草むしりといったアルバイトで、レース資金を貯めていました。平日に働き、週末になると自転車で1時間半かかるサーキット場に行き、10万円で買った中古のカートで走る。そんな中学時代を送っていました」

高校生になっても異常な熱は冷めなかった。いや、ますます熱くなっていった。レースのレベルは上がり、以前にも増して費用は嵩んだ。アルバイトでは到底足りないお金が必要になったとき、中平はある行動に出るのだった。

「複数の消費者金融からお金を借りました。未成年ですから親の同意が必要でしたが、そこはまあ、ハンコもサインも親のフリをして自分で署名するなど適当にごまかして(笑)。とにかくレースに出たい。そのことが一番でしたから。」

借金は親にバレたが、特に怒られることはなかった。「自分の人生は自分で決めろ。ただし尻ぬぐいも自分でしろ」。そんな父親だった。

高卒フリーターから大卒就職人気企業ランキング上位の会社へ。夢を諦められず二年で退社。資金を貯める道は「ベーリング海でカニ獲り漁船に乗る」か「不動産営業」か。

高校卒業後も通信機器の営業のアルバイトをしながらレース資金を稼ぎ、F1レーサーを夢見てチャレンジを続けるが、20歳の時に壁に当たる。自分より技量のあるレーサーの存在。スポンサーを獲得する能力の不足などだ。中平の営業成績は群を抜いていて、バイト先の親会社からも注目集めるようになっていった。親会社の「お偉いさん」がバイト先に顔を出した際には、自身の夢であるレーサーのスポンサー契約を打診することもしていた。答えはNOだったが、優秀な成績と夢への情熱を認められて特別なオファーを受ける事になる。バイト先を運営する親会社である大手商社の営業マンとしてのオファーがきたのだ。ここでF1レーサーへの道は諦め社会人としての歩みをスタートさせたのだった。

その会社は、高卒のフリーターが入れる規模の会社ではなかった。現在も就職人気ランキングの上位の常連企業だ。傍から見れば、その商社でキャリアを積んでいくのが一般的なサクセスストーリーだ。だが中平は二年ほどでその会社を自ら辞める事にしたのだ。

「やっぱりレースがしたくなったんです。でもやるためには、今の会社ではダメだと。失礼ですが収入が低すぎました。アルバイト時代の方が稼いでいましたし、何より400万円程度の年収では、高校時代に借りた総額1000万円にもおよぶ借金の利息を払うだけで、いっぱいいっぱいでしたから(苦笑)」

中平は考えた。“稼げる”仕事に転職しようと。まず浮かんだのは高級外車のディーラーだった。だが学歴が足りず断念。次に考えたのは漁師だった。ベーリング海のカニ獲り漁船なら数カ月で1000万円以上稼げると知るが、海に落ちて帰らない人がいること。多くの漁師がロープで指をなくすことを知り、こちらも却下。残ったのが不動産だった。「学歴不問 20代年収1000万円可!」とのキャッチコピーに惹かれ、恵比寿にある従業員10名にも満たない不動産会社への転職を決めた。不動産業界を選んだのは他にも理由があった。改めてレースをやり続けるにはどうしたらいいのかを冷静に考えた結果、自由なお金と時間が必要だと知り、実現するにはビジネスオーナーになること、中でも不動産業がベストだと考えたからだ。

「海に行くと、平日の昼間なのにサーフィンをしている紳士がいたりしますよね。その多くは不動産オーナーであり、特に何もせずに毎月一定の収入が入ります。実は私の父も複数の不動産を持ち、50歳で会社を早期退職。以後一度も就職することなく、不動産収入だけで海外旅行に行くなど、悠々自適な毎日を送っています」

不動産会社では独立を見据えてノウハウを学ぶことに集中した。入れ替わりの激しい超ブラック企業だったが、中平には関係なかった。「5年後にビジネスオーナーとなり、自由にレースができる環境を手に入れる」。明確な目的があったからだ。

毎日夜遅くまで不動産オーナーに電話をかけた。ここでは書けない罵声を浴びることも度々だったが、明確な目標があったため、辞めていくメンバーを横目に、中平は走り続けた。そして半年後には、トップセールスマンになっていた。それだけではない。後で詳しく述べるが、現在のビジネスに繋がるヒントや顧客も手に入れていった。

不動産会社に転職してから4年半。目標より半年早く中平はビジネスオーナーのポジションを手に入れるのであった。