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ご縁ある目の前の人を“専門性と客観性”をもって、未来リスクからお守りする

加藤 翔大Kato Shota

プルデンシャル生命保険株式会社 東京第六支社

課長

ストイックに物事を追求する加藤さんですが、今の加藤さんを作った原体験は何なのでしょうか?

学生時代に取り組んだスポーツでの経験は、今の自分の価値観に大きな影響を与えていると思います。小学生から野球を始め、高校時代は硬式野球部に入り副将として甲子園を目指しました。チームの誰よりも遅くまで残って練習に励みました。でも最後の夏の大会、重要な最終戦で僕はベンチにいました。数日前までサードを守っていた仲間が、僕がいるべきセンターを守っていました。努力や経験年数に関わらずチームとしては彼の方が良かった。不器用な自分よりも彼の方が上手かった。異論は一切なかったですが、努力は実らなかったんです。これは自分にとっての大きな挫折体験でした。

その後大学では、野球部の先輩に誘われてアメフト部に入部しました。高校では体育祭の筋肉番付で優勝した経験もあり、体力には少し自信もありました。けれども先輩たちの身体の大きさ、身体能力の高さはケタ違いでした。ここでレギュラーを取ること、活躍することは無謀だと思いました。ただやる前から諦めたくなかった。やってみないと分からない。そんな微かな希望を胸に入部を決めました。

アメフトというスポーツは白鵬のような怪力プレイヤーが11人いてもダメだし、ウサインボルトのような俊足プレイヤーが11人いても勝てない。それぞれのポジションで求められる能力が異なります。背が高い、足が速い、ボールを投げるのが得意など、何か一つ得意なことや人より秀でたものがあれば活躍できる可能性がある。僕は野球で培った球感を、レシーバーというポジションで活かすことができました。そして無謀だと思ったその部で、4年生のときには副将としてリーダーシップを発揮する役割を任せられました。アメフト未経験で入部し絶望していたあの日には、到底信じられない光景でした。

ここで学んだことは、同じ努力もフィールドが変わると成果に大きな差が出るということ。野球は9年間取り組んでもうだつが上がらない選手で終わりましたが、レシーバーとしては4年の経験ながらポジションリーダーを任せられるパフォーマンスを発揮できていました。どんな環境でも誰よりも努力することは勿論のこと、でもその手前に、自分の特性が活きるフィールドを選ぶ視点はとても大切であることを学びました。

前職を辞め、ライフプランナーという生き方を選んだのはそちらの方が自分に合っていると思ったから。事業承継、相続というテーマを学び始めたのも興味があったからというのも勿論ですが、自分に合っていると思ったから。学生時代の経験は、自分の今の価値観を作った原体験だったと思います。

自分のフィールドを選ぶ、学生時代の学びを活かしてきたからこそ今の成果もあるんですね。奥様から「前世は武士」と言われるくらい何事にもストイックに取り組む性格は、どこで育まれたのでしょうか?

自分を信じて頑張れるのは、親が惜しみなく愛を注いで育ててくれた影響が大きいと思います。僕の両親は新宿区で塗装会社を経営しています。祖父の代で創業し父が二代目、そんな親のもと3人兄弟の長男として生まれました。自営業でしたが毎日夕飯時には両親とも家に帰ってきてくれて、家族一緒に夕飯を食べ、週末はよくキャンプに行き、夏は海、冬はスキーと家族で過ごす時間は多かったです。

両親をはじめ、周りから沢山の愛情を受けて僕ら3人は育ててもらいました。そういった愛情ある家庭の中で、僕は自尊心を培われたのだと思います。これまでも辛い時、何度自分に言い聞かせたか分からない言葉。「試練とは乗り越えられる人にだけ与えられる」これも幼少期に父から教えてもらいました。常に自分の土台には親の存在があります。

ストイックかどうかは分かりませんが、努力を継続する大切さを学んだのは幼少期の剣道の影響も大きいと思います。父が剣道をやっていた影響で僕も4歳から11年間、剣道を習っていました。始めて間もないとき、特に公式試合は嫌で嫌で仕方なく、前日はいつもお腹が痛いと泣いていました。緊張することとか、負けることとか、何が一番嫌だったのか分かりませんがとにかく行きたくなかった。試合当日の朝まで布団の中に潜り込み、試合に行きたくないと駄々をこねていた気がします。それでも親に説得され、何とか試合会場に行く。そして嫌々ながらも着替えて並んでいれば、自分の順番が回ってくる。審判に「はじめ!」と言われれば、もうやるしかない。そんな中で幸運にも「試合に勝つ」という経験をした。僕の人生における初めての成功体験でした。剣道は自ら選んだスポーツではありませんが、熱心に練習する姿勢を買われて選抜メンバーに選ばれたり、大会で表彰台に上る機会もありました。そんな剣道でも、試合が終わった後や表彰されるその瞬間はとても清々しく、気持ちのよい瞬間でした。頑張った先に喜びや快感がある、それを幼少期に知ってしまったことで、どんな環境でも山を越えるまで努力を止めない癖がついたように思います。

「この人は人生を楽しむ気がないのかな。。」と感じるくらい、まるで修行僧のように一つのこと(仕事)しか考えていないその姿を、妻はきっと「武士」のようだと思っているのだと思います。まだ30代、一つ一つの苦労と経験が今の自分には最も価値のあることだと思っています。修行僧は僕には誉め言葉です(笑)

武士と言われる原体験が剣道にあるとは、本当に前世は武士だったのでしょうね(笑)。試練を次々と乗り越えられて今があると思いますが、仕事でも悩む時、迷う時はあると思います。加藤さんがそういった時に相談するのはどの様な方なのでしょうか?

僕が最初に相談する人は常に決まっています。それは妻です。転職など人生の岐路も、仕事で悩んだ時も、迷ったときは妻に意見を聞きます。自分にはない視点を持っていて、いつもハッと気づかされるんです。

転職をすることになった2012年、新卒で入社した会社で4年目を迎え、これから育ててもらった会社に恩返しをしていくという、そんなタイミングでした。僕は前職の会社が大好きでした。一緒に働く仲間も尊敬する人ばかりでした。でも声をかけてもらったプルデンシャルに対する興味を抑えきれないのも正直な気持ちでした。転職を考えている旨を上司に相談すると、それは本当に今考えねばならないことなのかと引き止められ、自分自身も恩を仇で返すような気がして悩んでいました。悩んでいたというよりも、どうすべきか分からず狭間で苦しんでいました。そのときも、妻の一言が背中を押すきっかけになりました。「少しドライに聞こえるかもしれないけど、個人と会社というのは契約関係。引き止めるのは上司の仕事でもある。逆に会社の業績が悪化したときには、個人の事情など関係なくやめてくれと言われることもあるのが会社と従業員というもの。感謝の気持ちを持つことは大切だけれど、あまり情に流され過ぎるのも良くない。迷いや不安はある一方で、新しい環境への興味が抑えられないのが正直な気持ちなんでしょ。チャンスは常にあるものではない。これまでお世話になった人は勿論大切だけれど、これからお世話になる人を大切にするという視点も大事なんじゃないの?」この言葉で気持ちが吹っ切れ、転職を決意したのを今でも覚えています。妻の言葉で自分の考え方が変わったことは少なくありません。彼女はかけがえのない人生のパートナーです。愛知県で生まれ育った彼女、普通に生活していれば出会うはずがないところを、わざわざ紹介してくれたアメフト部の同期がいます。僕が彼女と知り合えたのは彼のお陰です。心から感謝しています。

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