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「出会えてよかった」と思ってもらえる存在に。

砂畠 秀俊Sunahata Hidetoshi

プルデンシャル生命保険株式会社

コンサルティング・ライフプランナー

親に認められず荒んだ時代。大学合格を機に和解し、果たすべき役割を見出す

仕事における砂畠のフィロソフィーのルーツは、幼少期にまで遡る。埼玉県吉川市で生まれ育った彼は、小学生のころから友だちを楽しませることが好きな性格で、成績もよかった。ただし、勉強については、親が彼に寄せた期待ゆえの部分が大きい。4歳から学習塾に通わされ、その頃から「東大合格」を厳命されていた。中学入試を控えたころの偏差値は72。東大合格への近道とも言える開成中学も模試でA判定を獲得していた。だが、期待に応えようと努力する砂畠を両親は、一度として褒めることがなかった。いくらテストの結果が良くても「この調子でがんばれ」と言うだけ。そんな両親に対し、彼は不信感を募らせていった。

やがてあるとき、両親がそこまで東大にこだわることには、二人の過去が関係していることを知る。父親は東大に合格していたが、入学金が払えず入学を断念していた。母親は元々は鎌倉の資産家に生まれたが、祖父が経営していた会社が倒産して以来、貧しい暮らしを余儀なくされた過去があった。せめて息子には、お金で苦労させたくない。そんな二人の思いからの英才教育だったのだ。しかし、開成中学校にはまさかの不合格。これまでの息子の頑張りを一顧だにせず失望を隠さない両親との確執は、ここで爆発。砂畠は中高時代、あまり勉強をせず、両親とも不仲であったという。

砂畠と両親が歩み寄るのは、彼が早稲田大学に合格した頃である。息子の荒みように両親は自らの過ちに気がついた。一方、砂畠は、それでも早稲田に合格できたのは、幼少期からの英才教育のおかげだと気がついた。砂畠と両親は和解し、家族のやりなおしが始まった。砂畠は、親の思いに共感し、お金がないせいで不遇に甘んじざるをえない人を少しでも減らす仕事がしたいと思うようになる。在学中にFP3級の資格を取得し、株などの投資にも取り組みながら、将来はお金に関わる仕事をすることが自分の使命なのでは、とも考えるようになった。

 

新卒では、ネット証券業界のパイオニアである証券会社に入社。ハードワークに徹し、短期間でさまざまな経験やスキルを積んでいった。ただ、当時は株式投資が今ほど一般化しておらず、砂畠の役割は、富裕層がより資産を増やすための手伝いでしかなかった。「お金に困る人を減らしたい」との思いが満たされることはなく、仕事の意義に疑問を持ちはじめた頃、彼の元に一通のスカウトメールが届く。プルデンシャル生命からであった。プルデンシャル生命の営業マンは固定給ではなく、完全実力成果主義。一人ひとりが個人事業主のようであった。そして、単に生命保険を販売するだけでなく、個人・法人を問わず、顧客の困りごとコンサルティングを通して全般的に解決する働き方ができた。ここなら自分のやりたい仕事ができるのではないか。ビジネスモデルを理解した後、そう判断し、転職を決意した。