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目指すは1000億円企業。多様な才能を持つメンバーが力を発揮できる場をつくる

林 亮太Hayashi Ryota

セルプロモート株式会社

代表取締役

金持ちを夢見るも「金持ちは悪。なったら縁を切る」と父親に言われた

関西出身の両親のもと、林は和歌山県で生まれた。その後、父親の転勤で埼玉・浦和に移り住み、幼いころの大半を過ごす。父親はそれなりの企業に勤めるサラリーマンではあったが、若くして結婚したこと。林のほかに2人の弟がいたことなどもあり、欲しいものが買ってもらえなかったり、狭い社宅で暮らすなど、「貧乏だった」と林は当時を振り返る。そのため「将来は社長になる」「金持ちになる」との野望を抱く。

そんな林の考えを、父親は真っ向から否定した。「金持ちは悪。お前が金持ちになったら縁を切る」とまで言い、度々衝突した。現に、林が20代後半になるまで、父親とはほとんど口を聞かない疎遠状態が続いた。

一方、母親は経営者気質を持っていた。家計を助けようと、狭い社宅内でピアノ教室を開講。朝から晩まで生徒がひっきりなしにくるほどの人気で、父親の稼ぎより多かったと思う、と林は振り返る。このような体験もあり、真面目にコツコツ働くサラリーマンではなく、一国一城の主になりたいと林はますます想いを固めていくのであった。

父親が反面教師に映ったのは、仕事やお金の面だけではなかった。とにかく真面目な性格で、友だちと遊びにいくようなこともせず、週末は家にずっといるようなタイプだったからだ。対して林は、幼いころからとにかく遊ぶことが大好きで、友だちも大勢いた。ユニークなのは、特定のコミュニティーやグループに属するのではなく、全グループに顔を出していたことだ。ゲームをするグループ、やんちゃをするグループ、勉強をする仲間など。そのため誕生日会は3日間にわけて行うほど友だちが多かった。

当然、時間が足りるわけがない。中学生にして予定はびっしり。自宅に友だちを呼ぶことも多かったが、友だちの家にもよく遊びに行き、泊まることも多かった。そんな林の行動も、1つの会社という居場所に何十年と勤め上げていた父親には面白く映らなかった。「お前は落ち着きがない」と言われ、地元の道場で剣道を習わされることに。ただこの剣道が、その後の林を形づくるきっかけとなる。

4カ月の受験勉強で六大学に複数合格。毎日の繰り返しが成功につながることを学ぶ

成長するにつれ、林はどのような方法で金持ちになるかを模索していく。まず考えたのは地元の仲間の多くが職人だったこともあり、いわゆる親方での独立・起業だ。そこで高校時代にタイル屋でアルバイトを始める。しかし、しっくりこなかった。

「いつのもメンバーと同じ車に乗って、毎日同じ現場でひたすらタイルを貼る仕事が、自分にはどうしても面白いと感じることができませんでした。でも何をしたら金持ちになれるか分からない。そこでとりあえず見聞を広めようと、大学で経営学を学ぼうと思ったんです」

また厳しい校則に反抗して高校時代は停学を3回経験した。林曰く、理由は「理不尽な校則」により学校が嫌いになったとの事。

「当時坊主頭だったんですが、頭髪検査に引っかかりまして、理不尽な校則に反抗していました。自分は髪の毛が伸びるのが早いのと、耳と髪の生え際が極端に狭いので、髪の毛が耳まですぐかかるんですよ。『髪の毛は耳にかかってはいけない』という校則です。どんだけ髪の毛が長くても耳にかからないようにセットして頭髪検査を逃れる生徒はいました。そこに納得がいかず学校が嫌いになりましたね。高校生で坊主はNGで、ロン毛はOKなんて聞いた事ないですよ(笑)。」

高校卒業後は半年間をフリーターで過ごした。しかし1冊の漫画の出会いが大学受験を目指すきっかけになった。その漫画はとは問題児たちが東大合格を目指す漫画『ドラゴン桜』だ。一念発起した林は、近所にあった個人経営の塾に飛び込んだ。偶然にもその塾の講師も『ドラゴン桜』に影響を受けた講師だったという。林と意気投合したその講師は、林の東大受験をバックアップすることに。林は全ての友達の連絡を断ち切り、朝から晩まで講師の指導のもと受験勉強に励んだ。

大きな一つ問題があったという。

「その塾は小学生が通う塾でした。先生から鍵を受け取り朝、塾を開けて勉強し、小学生がくる時間帯は喫茶店で勉強し、また夜に塾に戻って勉強し、鍵を閉めて帰る生活をしました。薄い参考書を繰り返し、繰り返し。『この参考書が作れるぐらいまで覚えろ』と言われて。いざ受験願書を出すときに、問題がおこりました。今までやってきた3教科では東大も慶應大学も受験できなかったんです。先生は小学生向けの塾を経営していたから、大学受験に詳しくなかったんです(笑)。」

問題はあったものの、的確な指導法を行う講師に出会ったこともあり、わずか4カ月勉強しただけで法政・明治といった六大学への複数合格を果たした。ただ大学の合格以上に、林が受験勉強から得たものは大きかった。そしてその得たものとは、剣道とも共通していた。

「幼いころ、自分はコンプレックスの塊でした。何をやっても中の上で、1番にはなれなかったからです。ただそれなりに結果の出た剣道や大学受験を改めて振り返ると、あることに気づいたんです。ひたすら毎日同じことを繰り返していたことです」

剣道では素振りなどの基礎練習を、とにかく毎日反復した。その結果、関東大会出場を果たす。六大学合格を果たした受験では、毎日同じ教科書をひたすら繰り返す勉強法で合格を掴み取った。

ただ気づきは、もうひとつあった。

「そうはいっても、大学はそもそも東大を目指していましたし、剣道でも別に日本一になったわけではない。やっぱり、自分には才能がない、と感じていました。同時に、周りには自分より優れているメンバーが大勢いるとも。でも自分はお金持ちになりたいとの夢がある。そんなことをあれこれ考えていたら、あることに気づいたんです。優秀な仲間を集めて、会社をやればいいんだ、と」