「神は細部に宿る」 天賞堂の“音までつくる”ものづくり魂
新本 桂司Nimoto Keiji
株式会社天賞堂
代表取締役社長
1976年 東京生まれ
1997年 法政大学入学
2004年 美術関連会社 就職
2006年 株式会社天賞堂 入社
2009年 株式会社天賞堂 専務取締役 就任
2014年 株式会社天賞堂 代表取締役 就任(現職)
Index
創業140年。当時の顧客は伊藤博文や尾崎紅葉など、夏目漱石の作品にも登場
老舗百貨店に高級アパレルショップ。上質な食事が楽しめるお店や空間が揃う街、それが銀座だ。歌舞伎座のように100年以上前から続く老舗がある一方で、GINZA SIXのように、最新のトレンドが反映された建物もあり、老舗と流行が融合されている街とも言える。そのため今も昔も、特に昨今では海外から多くの人が足を運ぶ。
そんな銀座の一角に、歌舞伎座より10年も前から開業している店がある。天賞堂だ。開業は明治12年。以来140年にわたり銀座で商売を続けている。そんな歴史ある店の代表を務めるのが、6代目となる新本桂司である。新本は天賞堂の歴史を次のように振り返る。
「創業当時は印鑑を扱うお店でしたが、数年後には時計・宝飾品などの貴金属の扱いを開始。当時、似たような商品を扱っているお店はなく、売り方に関しても当店のように値札を売って販売するのは、日本初の試みだったようです」
天賞堂の歴史を振り返ると、新本が話したように「日本初」「日本一」というキーワードが度々登場する。スイスに駐在員を送り、現在も高い人気を誇るスイスの高級腕時計『OMEGA』の扱いを日本で初めてスタート。1919年には全国輸入時計の70%を天賞堂が占めるまでになり、OMEGA腕時計の販売数で日本一になったこともある。
その後も、IWC、ZENITH、LONGINES、VACHERON CONSTANTIN、JAEGER-LECOULTREといった有名腕時計を長きにわたり扱い、コラボレーションモデルも数多く販売。2000年に入ってからはオリジナルブランド「TENSHODO」の販売にも注力している。
顧客に伊藤博文や尾崎紅葉といった、歴史書に登場する偉人が名を連ねているのも天賞堂ならではだ。夏目漱石や谷崎潤一郎の作品中に「天賞堂」の名前が度々登場していることからも、当時いかに天賞堂が確固たる存在感を放っていたかが窺える。そのため銀座との関係性もとても深い。新本は次のように言う。
「銀座には当店のように、長年この地で商売を続けているお店や会社がたくさんあります。そのようなお店の経営者や若手同士の交流を図るため、また銀座という街をより良くするために、数多くの組織や団体があります。私も銀実会や銀座通連合会等々の組織に所属しており、銀座でイベントがあるときには警備や道案内などを、警察などとも連携しながら積極的に行い、銀座の街を盛り上げるために協力しています」
140年の歴史ある天賞堂の6代目の代表である、新本桂司とはどのような人物なのか。