「ビジネスの飛躍は交流から生まれる 」創造性を高め、志を導く空間をつくる
吉田 光男Yoshida Mitsuo
ルックス株式会社
代表取締役
娘の笑顔の為に。エンジニアを辞め一家で北海道に移住
新たなプロジェクトに期待を膨らませ、研究職として転職した吉田は、その後3年間新製品開発に向けて邁進する。しかしトップの方針が変わり、研究は頓挫。吉田に求められる業務も変わり、納期が厳しく、仕事量は膨大というハードワークに変わった。「365日、24時間働いているような状態でした。会社には泊まるところまである。ここで働けたら他のどんなところでも働けるだろうな、なんて考えていましたね。」激務に忙殺される日々の中、家族にも異変が起きる。
結婚後2人の娘に恵まれていた吉田。当時小学1年生だった長女がひどいいじめに合い、学校に行けなくなってしまったのだ。
「父親として、なんとかできることはないかといろいろ考えていたある日、たまたま家族で見ていたテレビで山村留学(都市部の小・中学生が長期間に渡って親元を離れ、自然豊かな農山村や漁村で生活をする)のドキュメンタリーをやっていたんです。その時、娘が『行ってみたいな』ってつぶやいたんです。」
娘の「行ってみたい」という前向きな想いを叶えたいと、ネットで情報収集する吉田は、北海道の斜里、清里で山村留学説明会があると知り、迷わず航空券を手配した。なんとか娘の笑顔を取り戻したい一心だった。町民500人ほどの町、全校生徒は19人。学校に通う子どもたちの様子も見ることができた。冬はスキー、夏は山登り、川遊び…自然の中で仲良く学ぶ子どもたちの様子を知り、「行かせてやりたい」という思いがより強いものとなった。山村留学では、地域の里親の元に住み、通学する方法がある。しかしそこでは里親のなり手がいない状況だった。その後1年待ったが里親は見つからない。吉田はとうとう決断した。
「よし、家族で引っ越そう!」
なんと、仕事をやめ、家族全員での移住を決断したのだった。娘のことは一番の理由ではあったが、激務の続く日々を振り返り、「家族との時間をもっと大切にしたい」「自分の人生で大切なものは何か」と自身に問うた結果の決断でもあった。さらに、以前知人からの紹介で入会した「メキキの会」という経営者の志を共有する交流会の北海道支部を作ったらどうだろうという思いもあった。人との交流を大切にしてきた吉田は、当時経営者の学びのための朝食会を運営するスタッフとしても活動していた。単に食事をするだけでなく、登壇者を建てて講演内容を登壇者と作り上げることにも面白さを感じていたのだ。
「外交的というか、人と関わることが好きなんです。人とつながって、一緒に何かを作り上げていくことにやりがいを感じます。」
そこから全国の支部立ち上げにも関わるようになり、「北海道にも支部を作りたい」という思いも強くなった。その実現のためにも、吉田は「移住」という大きな一歩を踏み出したのだった。