100年後を見据えた仕事をする。 全ては顧客との約束と幸せを守るために。
柳田 優木Yanagida Yuki
プルデンシャル生命保険株式会社
東京南支社 支社長
ライフプランナー時代「父であり、時には母であるような存在」寸暇を惜しんで接してくれたマネージャーに憧れる
ライフプランナーは、柳田のようなトップセールスマンなど、優秀な人材がヘッドハンティングされ構成されている。一方で、学歴や社歴はさまざまで、要するに「実力が全て」なのである。そして、そんな環境を好む自身に満ち溢れたメンバーが集まっていた。同社に入るまで、柳田は保険に興味がなかった。というより、正直に言えば嫌いだった。「保険=押し売り」との、勝手な印象を持っていたからだ。ところが活躍しているライフプランナーを観察していると、自分の考えは間違っていたことに気づく。
「会社の理念でもありますが、私たちの役割は、保険商品を販売するのではなく、お客様とそのご家族様に必要だと考えられる情報を提供することです。ですから保険営業という呼称ではなく、ライフプランナーなのです」
活躍しているライフプランナーを見ていて、もうひとつ気づいたことがある。人間力やコミュニケーション力がずば抜けていること。そのスキルを活かし、次々と紹介で新しい顧客を獲得していることだった。そしてその人間力は、生まれながらの才能にも柳田には思えた。しかし自分にはない。これから育むことが無理だとも思った。そこで柳田は、自分の強みである、理系脳を活かすことで活路を見出していく。
多くの情報を集め、顧客に最適な保険を設計。それを論理的に説明する、という手法だ。他のライフプランナーも情報提供する点では同じだが、コミュニケーション力だけではなく、よりロジカルに説明する、というのが柳田流であった。さらりと書いたが、この手法を編み出すまで、柳田は相当な苦労を重ねている。そんな柳田をサポートしたのが、当時の営業所長だ。
「寸暇を惜しんで自分の為に時間を使ってくれました。夜遅くなった際には、自宅まで送ってくれた事も多々ありました。父であり、時には母であるような存在でした。」
関係性は深まり、家族ぐるみの付き合いもするようになっていった。次第に柳田は、マネージャー職にも憧れを抱くようになる。ライフプランナーになってから3年の月日が経とうとした頃、柳田はトップレベルのライフプランナーに成長していた。そんな折、恩師とも言える営業所長が退任。「跡を継ぐのは自分しかいない」。自然に出た選択だった。