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100年後を見据えた仕事をする。 全ては顧客との約束と幸せを守るために。

柳田 優木Yanagida Yuki

プルデンシャル生命保険株式会社

東京南支社 支社長

学生時代はコンピュータに夢中。就活もまともにしなかった

父親が慶應義塾大学文学部の教授だった柳田は、小学校から慶應で学んだ。幼い頃から本好きで、運動は大嫌い。雨で体育の授業が中止になると喜んだ。典型的な文系タイプだった。コンピュータをやりたい一心で、多くの同級生が都内のキャンパスに進学するのを横目に、できたばかりの湘南藤沢キャンパス(SFC)に進んだ。そして中高6年間、プログラミングに没頭しコンピュータ部の部長も務めた。高校卒業後はSFCを離れ、都内のキャンパスに戻る。

「自分がそこまでのエンジニアになれるとは思いませんでした。また頑張れるほど熱中もしていませんでした。そこで次に興味のあった、文化祭の実行委員会に没頭しました。ただ、根はインドアでコンピュータ好きの内気なオタク体質ですから、ステージで輝いているバンドの騒音対応など、裏方業務に徹しました。家に帰れば夜中までネットゲーム三昧、就活もまともにしませんでしたね」

就活に注力しなかった理由は他にもある。同級生の多くが志望する金融会社やコンサルタント会社などの企業に魅力を感じなかったからだ。むしろ真逆、昔から変わらないビジネスを実直に手がけている文具メーカーの製品開発を希望した。

「なんでサラリーマンなんかやってるの?」の言葉に衝撃を覚える

新人研修で行った営業職に面白みを覚えた。営業先は全国の支所を束ねる本部だったこともあり、成約が一度決まれば、自分の提案した商品が全国の店に広がる。そんな、営業の醍醐味が柳田の心を踊らせていた。営業に魅力を感じたのは、それだけではなかった。上司の存在だ。

「リーダーが柔軟かつユニークな方で、『売れるものなら何でも扱っていいし、好きなように、自由に仕事すればいい』と。本当は家具が商材だったのですが、もともと扱いたかった文房具も売っていました。結局、その人についていく形で営業職への配属を希望しました」

内気ではあるが、柳田は負けず嫌いだった。そのため営業で結果を出そうと、寝る間を惜しんで働いた。すると瞬く間にトップセールスになった。目標2000万円のところを3億円売上げ表彰されたこともあった。プログラミングスキルを活かし、購買率が高まる画期的なシステムも開発した。誰が見ても、会社への貢献度はずば抜けていた。だが、柳田は次第に直接お客様の役に立つことのできる仕事を志すようになっていったという。

そんな時期に小学校時代の同級生たちからの「なんでサラリーマンなんかやってんの?」の言葉に衝撃をうけた。

「たまたま出席した同窓会でかけられた言葉でした。衝撃的でした。仕事といえばサラリーマンとしか頭になかったので。言葉の主は親の会社を継いだり、既に会社を興していたり。自由かつ成功を手に入れているように見えました。サラリーマンもいましたが、数年後に起業を見据えた上での『社会勉強』という感じでした。自分はどちらでもないし、このまま今の会社で頑張っていても人生は変わらない。そう、考えるようになりました」