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体罰、自己否定、両親による行き過ぎた躾。壮絶な人生を生き延び、アスリート経営者に真のチームビルディングを教授する!深層心理に迫るメンタルトレーナー

谷山 筋肉tanny.yokohama

エナジーパワー🔯マッスル

メンタルトレーナー

そこまで成果を生み出すメンタルトレーナーに至った谷山さんの原体験には何があるのでしょうか。

私が悩んでいる方々の力になりたいと願うのは、私自身が幼少期から50歳を超えるまでの本当に長い間、ずっと自分を否定しながら生きてきた辛い過去があるからです。

私の父は仕事熱心で厳格な人でした。郵便局に務めていた公務員で、かんぽ生命の営業で日本一のトップセールスマンという、常に優秀な成績を残していた人でした。どれほど仕事熱心だったかというと、朝自宅で仕事をし、日中は出勤、帰宅後も書斎で仕事に明け暮れていたほどです。子供の躾に対しても異常に厳しく、支配的でした。家庭では常に「勉強」が最優先事項で、中学時代には疲労で勉強できなくなるという理由から一方的に大好きなサッカー部を辞めさせられたこともあり、やるせなさと悔しさを感じました。

今考えると、両親は私を自分達の思い通りにコントロールしたかったのでしょう。遊びは許されず、父が帰宅すると背筋がピンと伸び、一目散に部屋に戻って勉強をしているふりをし続けました。文句を言えば骨折するほどの体罰が下り、ご飯を食させてもらいない日が続いたり、大雪の日に薄着のまま家を追い出され凍え死にそうになったり。親のストレスをぶつけられていたのです。そうして育てられた私はどんな子供だったのか。自分の存在そのものを心底否定し、友達に声を掛けることもできない閉ざした性格になっていきました。

実は、私は教員免許など名刺に書ききれないほどの国家資格を持っています。それは「自分はできるんだ!」という証拠集めのためです。小さな成功体験を重ね、自分を大きく見せようと必死でした。スキーに熱中したのも、トライアスロンに挑戦したのもそうです。表彰台からの景色は格別で、特にトライアスロンはやっているだけですごい!と言ってもらえるのが何より嬉しかったのです。その度に「僕はちゃんとできる人間だ」と自分で自分に言い聞かせていました。

それほどの辛い経験を、ご自身ではどう乗り越えたのですか。

1990~1995年バブル入社の私は当時、従業員3,000人程の企業に務めていたのですが、上司が私に嬉しそうに言うのです。「お前が残業ワースト1だ」と。バブルの頃、まだブラック企業という言葉もない時代。3ヶ月休みなく夜勤をし、現場に寝泊まりし、風呂にさえ入れなくても納期だけは絶対に守る。どんなにブラックな労働環境であろうとも、谷山に言えばどんな現場でもまとめておいてくれるという会社の評価が嬉しかった。心の奥底では喜んで渦中に参加していた自分がいました。

2016年にUEを知ったのですが、それが私にとって大きな転換点でした。それまでの約8年間、パワハラ被害や不当な人事異動を受けてさえも歯を食いしばって耐えてきました。しかし、5年ほど前から挑戦していた国家試験に合格できなくなり、対人関係も恋愛も何もかもが上手くいかず、人生のどん底に沈みきってしまったのです。

藁にも縋る思いで霊気を学んでみたり、カウンセリングを学ぶ中で、ふと出会ったある方に悩みを打ち明けたことがきっかけでUEと出会いました。最初は半信半疑だったものの、自分の置かれた状況が前向きに上昇していくのがわかりました。一気に急上昇と急下降を繰り返しながら、徐々に上向いて行きました。

上級コースも受講しアルティメストとしての資格を取得してから、今では既に200人ほどの方にUEの個人セッションや講座などを受けていただいています。26年間勤めた仕事も退職し、UEでのコーチングを本職にしています。