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顧客にとって、家族のつぎに頼られる存在になる

清家 匠Seike Takumi

プルデンシャル生命保険株式会社 横浜第一支社

シニア・コンサルティング・ライフプランナー

父から学んだ「一番になれ」を実践 営業職のエリートとして活躍する日々

 祖父が警察官だったこともあり、清家の父は正義感のかたまりのようなタイプだったという。間違ったことが大嫌い。そんなDNAを清家も受け継いだ。学校でいじめがあれば、先頭に立って止めるタイプだった。父からは営業マンとしての才覚も受け継いだ。学歴こそ高くなかった父だが、海外などに出向き水産物を買い付けるバイヤーとして活躍。清家が小学校低学年のころには、独立・起業も果たしている。

そんな父の口癖は「とにかく一番になれ」。その言葉どおり、清家少年はスポーツでも勉学でも常に一番を目指した。ときには、まだ学生の清家に現場で培った営業ノウハウを父が直接指南することも度々あったという。

 

そんな父の背中を追ってか、大学卒業後は製薬会社の営業職(MR)に。ここでも父の言葉を実践し一番を目指す。「どうしたら自社の薬を使ってもらえるか。医師のもとに頻繁に足を運び、関係性を深め、人として信頼してもらうよう努めました」。

毎日10名以上の医師をたずねた。休日は接待に充て、自腹で行うこともあった。忘年会では恥を気にせず、腹芸を披露した。「考えられることは何でもしましたよ」と、当時を思い出し照れ笑いする清家だが、彼がすごいのは、他の営業がある程度の成績で満足するなか、さらなる上を目指し、このルーチンを続けたことだ。気づけば入社から9期連続で目標をクリア。優秀MR賞を2度獲得。他の営業を教える立場にまで出世していた。活躍の一方で、MRとしての将来が想像できる状況に、物足りなさも感じていた。そんな折、プルデンシャル生命保険からスカウトの話が舞い込む。

「面接の担当者が、めちゃくちゃインパクトがあったんです。30代前半という若さで支社長。それに加えて保険営業という仕事の使命感を持っていて、その熱さで僕のこれまでの人生を問うてくるんですよね。職業に対する自信をいつまでも持った大人になりたい、そう思って転職を決めました。」

プルデンシャル生命に入ってからも、清家は努力を怠らなかった。顧客に有益となる知識を貪欲に学び、話し方、接し方なども一般顧客向けにと学び直した。結果、プルデンシャル生命でも活躍。社内の営業コンテストで入賞し続け、MDRTの会員には4年連続で資格認定された。まわりから一目置かれる存在になっていった。しかし、好調な人生は突然終わりを告げる。