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友人の死を契機に大嫌いだった生命保険業界へ ~使命を胸にライフプランナーで在り続ける~

石川 恭平Kyohei Ishikawa

プルデンシャル生命保険株式会社 横浜第一支社

主任/ライフプランナー

「後悔しない人生を送る」野球から多くのことを教わった

石川のパーソナリティを語る上で切っても切れないのが、野球だ。実は石川は幼い頃、どろんこ遊びなど、いわゆる子どもが好きな遊びが嫌いだった。理由は「爪が汚れるから」。また母親の顔色を常に伺うなど、よく言えば繊細でナイーブなのだが、本人曰く「ナヨナヨしている子」でもあった。そしてそのような性格を、本人もあまり好きではなかった。しかし、野球が石川を変えていく。

「ピッチャーでしたからね。いい意味で人の顔色を伺うのではなく、自分の意見や主張をしっかりと通す。自分で気づかぬうちに、変わっていったと思います」

性格だけではない。野球は、その後の石川の歩みにおいて重要な学びを教えてくれた。石川はバント処理が苦手だった。ただどうにかなると勝手に思い、克服するための練習を怠っていた。その心の緩みが、3年生最後の大会で出てしまったのである。

「3対3で拮抗している試合終盤、自分のバント処理ミスがきっかけで、追加点を許してしまったんです。さらにウイークポイントだと相手チームに見抜かれたのでしょう。再びバントをされ、また、ミス。幼いころからの夢の舞台であった高校野球はそこで終わりました」

前述のとおり野球部には100名弱の部員がいた。石川は自分が起こしたミスならびに努力を怠ったことで、自分だけでなく大勢の人の夢を摘んでしまったことを心から詫びると共に悔やんだ。やらなければいずれ後悔することになると思ったことは必ずやる。ここから先は、後悔しない人生を送ると誓うのであった。

学年トップ、99%が進学するにも関わらず就職を選ぶ

3年間トップの成績だった石川は、推薦で東京六大学と呼ばれる程度の大学に入学できる可能性もあった。高校は進学校であり、まわりは99%が進学。当然、教師からも両親からも進学をすすめられた。だが本人曰く「ただでさえ経済的負担をかけてきた中で、やりたいことが明確じゃないのに大学に進学するのは筋が違う」と、就職を選ぶ。幼い頃のナヨナヨした性格は、完全にどこかに吹き飛んでいた。さらに石川は就職に際し「大学に行った同級生には絶対負けない」との明確な目標を立てた。

就職先は紙幣やパスポートの製造を行う、独立行政法人であった。半官半民のような企業で、肩書きは国家公務員。両親を安心させたいとの想いもあったという。仕事は工場勤務からのスタートであったが、石川は経験できることは全て挑戦する意気込みで、貪欲に仕事に向かった。そのような石川の姿勢を上司や会社も評価した。しばらくすると現場の工員から品質管理のポジションに。労働組合でも代表に立候補し、労使の代表として会社と交渉したり、国会議員との会に参加するなど、社会人としての研鑽を重ねていく。そしてここでも「本当にいい経験をさせてもらいました」と、まわりへの感謝を口にする。石川のがんばりは仕事だけに留まらなかった。仕事をしながら夜間大学や専門学校にも通い、仕事以外の知識も貪欲に吸収していった。国家公務員ではあったが年齢が若かったこともあり、正直、当時の収入から学費を捻出するのは厳しかった。当然、親への仕送りもしている。しかし、石川は学び続けた。

「やりたいことがあったら、まずやってみる。高校時代に野球を通して経験した、後悔が大きかったと思います。そしてもうひとつは自己投資です。当時の年収額は、自分にそれだけの価値しかないからだと考えたんです。言い方を変えれば、己を研鑽し自らの価値が高まれば、収入は自然と付いてくるだろうと」

給与に対する不満から安易に転職するのではなく、理由は己の中にあると考え、それを自らの努力で克服していく。まさに、石川のパーソナリティが現れているエピソードである。