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友人の死を契機に大嫌いだった生命保険業界へ ~使命を胸にライフプランナーで在り続ける~

石川 恭平Kyohei Ishikawa

プルデンシャル生命保険株式会社 横浜第一支社

主任/ライフプランナー

厳しい生活下でも愛情を持って育ててくれた両親に恩返しがしたい

石川は埼玉県富士見市で生まれ育った。4歳上の姉、3歳下の弟がいるが、弟が生まれて間もなく石川が4歳のとき、両親が離婚。以降、母親は女手一つで3人の子どもを育てていく。石川は物心ついたときから野球が大好きだった。小学校の野球チームに入りたいと母に懇願し続け、チームに入れたのは3年生のとき。この頃になると母親には新しいパートナーがおり、すべてを支えてくれる実際の父親のような存在であった。そしてそのまま、普通の生活が送れるようになるかと思えた。

ところが石川が中学1年生のとき、パートナーと母親は別れてしまう。石川家の家計は再び厳しくなる。ただ母親は仕事はもちろん、家事や育児でも手を抜くタイプではなかった。時には仕事を3つ掛け持ちしながら、育ち盛りの子どもたちのために家事はもちろん、愛情のたっぷりこもった料理を体が疲れているなか、毎日作った。夕飯のおかずは毎晩5、6品並ぶのが当たり前で、たまに遊びに来る友だちが驚き、羨ましがるほど豪華だった。しかし1日の時間は24時間と限られている。母親は寝る間を惜しんでいたのであろう、体調を崩し入院してしまうことなどもあり、石川は子供心ながらに「ここのままでは母ちゃんが死んじゃう。何とか、自分が助けなければ」と同時に、「大人になったら絶対に今の恩を何倍にもして返す」と、心の中で誓うのであった。

野球が大好きだった石川はその後も野球を続ける。中学生のときは学校の部活動ではなく、クラブチームに所属。高校進学においても野球を前提に検討し、とある公立校を第一志望とした。ところがその第一志望の公立校に落ちてしまう。念のため滑り止めで私立高校も受けてはいたが、本当に念のためである。だが、その学校に進学することとなる。しかも入学金の支払納期は数日後と、目の前に迫っていた。この頃には中学1年時に別れたパートナーと母親は復縁、入籍をし、正式に父親となっていた。話は脱線するが2人の結婚式は、今振り返っても人生で1、2番に嬉しい1日だったと石川は嬉しそうに話す。

父親も大手メーカーに勤めているが、当時は生活が厳しかったのか、母と同じく、入学金を用意できる余裕はなかった。しかし、父親は息子のために動いた。親戚や知人先を走り回り、おそらく頭も下げたのだろう、期日までに入学金を集めたのである。この出来事を石川は後に知ることになるのだが、この出来事こそが自らの人生にとっての大きなターニングポイントだったと石川は言う。

「それだけのお金をかけてもらい高校に通わせてもらうということを痛感し、これからの3年間でかかる授業料を調べてみたんです。その金額は当時の自分としては想像もできないような金額でした。感謝の念が浮かぶのと同時に、野球のことしか考えていない、しかも公立校に落ちてしまった自分はなんと情けないんだ、と。ガツンと、ハンマーで頭を殴られたような気持ちでした」

実は石川はこの数ヶ月前に行われた2人の結婚式のスピーチである約束をしていた。「命がけで育ててきてくれた母親、実際の子どもでないのに本当に父親以上とも言える愛情をもって育ててきてくれた父親。その2人に高校野球の夏の大会でエースナンバーを付けマウンドに立つ姿を見せ、恩返しします。」そしてこの約束に「学業もしっかり行う」という新たな項目が付け加えられたのである。

石川は両親への誓いを、有言実行する。入学当時は三桁であった学年順位を、猛勉強の末上げていき、1学年終了時には学年トップに。そしてそのままトップの座を3年間維持する。そして、エースとして夏の大会のマウンドに立つ目標も実現。しかも100名弱の部員数を誇る中での目標達成だったというから驚きだ。

「やれば、できる」

両親の行動ならびに自身の体験を通じ、石川はこのようなマインドを醸成していった。